1984年11月17日土曜日

長谷部有美ちゃん誘拐殺人事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)

長谷部有美ちゃん誘拐殺人事件



長谷部有美ちゃん(当時5歳)



1984年(昭和59年)11月17日、
栃木県足利市内のぱちんこ店大宇宙から、
長谷部有美ちゃんが行方不明になった。

両親は店内でぱちんこをしていた。
両親が気づいたのは午後6時ころのことであった。


■不審な電話
1984年(昭和59年)11月21日、
有美ちゃんの通う幼稚園に、
女児と40〜50歳代の男性からの電話があった。

1、午後4時過ぎ、女児の声で「せんせい・・・」とだけで切れた。
2、その3分後、女児の泣き声で「せんせい、いま、こうせいびょういんにいる」
  と入り、続いて男が有美ちゃんの自宅の電話番号を聞いてきた。
3、午後4時21分ころ、有美ちゃんの自宅に電話が入る。
  女児のかぼそい声で「たすけてちょうだい」
  父親が所在を問うと「佐野のこうせいびょういん」と答えた。

通報を受けた足利署が、佐野市の「佐野更生病院」、足利市の「更西病院」、
さらに群馬県桐生市、館林市の厚生病院に捜査員を急行させたが、
有美ちゃんの姿はなかった。


■遺体の発見
1986年(昭和61年)3月7日、
有美ちゃんの自宅から1.7kmはなれた足利市大久保町内の
市立大久保小学校(現:毛野小学校)東側の畑で、
飼い犬が土を掘ろうとすることから畑の所有者が掘ってみたところ、
女児の衣類が発見された。

1986年(昭和61年)3月8日、
警察が畑を発掘捜査したところ、
衣類とともに白骨化した死体が見つかった。
長谷部有美ちゃんであることが確認された。

■時効
2000年(平成10年)11月17日、公訴時効が成立した。

1984年1月10日火曜日

札幌男児誘拐殺人事件(黙秘により無罪)

城丸君事件


1984年(昭和59年)1月10日、北海道札幌市豊平区で
城丸秀徳くん(当時9歳)が行方不明になる。

母親の証言により、
朝、城丸方にかかってきた電話の相手と話し続け、
「ちょっと出かけてくる。ワタナベくんのお母さんが
 僕のものを黙って借りたんだって。これから函館に
 行くみたいだから、僕それを取りに行ってくるね」
と言い残し長靴をはいて家を飛び出ていたことが判明。


城丸君が元ホステスの工藤加寿子(当時29歳)の
アパートの階段を上がっていたという目撃証言があったため、
工藤を重要参考人として事情聴取したが、有力な情報が得られなかった。


■第2事件
1986年(昭和61年)12月30日、
新十津川町にある工藤加寿子の嫁ぎ先から出火し、夫が死亡。
1億円あまりの生命保険がかけられており、工藤は請求した。
(のちに請求を取り下げている)

夫の弟が焼失した家を整理していたところ、
納屋から焼けた人間の骨を発見し、警察に届出た。
(当時のDNA鑑定では焼けた人骨からは鑑定できなかった)

再度、警察は工藤を事情聴取したが、
ポリグラフ検査では特異反応を示すも、
骨の身元が判明しなかったことから、これ以上の追及は断念された。


■再鑑定
1998年(平成10年)、短鎖式DNA型鑑定を実施した結果、
人骨が城丸くんのものと判明。


■被疑者の逮捕
1998年(平成10年)11月15日、工藤加寿子を逮捕。

1998年12月7日、殺人罪で起訴された。
殺人罪の公訴時効1か月前で、
傷害致死、死体遺棄、死体損壊罪については時効が完成していた。

死因を特定できなかったことから殺害方法不詳として立件した。


■黙秘
1審で被告人は罪状認否において、
「起訴状にあるような事実はありません」と無罪を主張。

検察官による被告人質問には、
「お答えすることはありません」として黙秘をつらぬいた。

■求刑
検察官は状況証拠から殺人を犯したことを主張し、
無期懲役を求刑した。


■1審判決
2001年(平成13)5月30日、
札幌地裁(佐藤学裁判長)は、
被告人の家から見つかった人骨が城丸君のものであることを認定し、
多くの状況証拠から被告人の行為によって死亡した疑いが強いと認定したが、
殺意については供述・証拠が得られなかったため、
殺意を認定できず、殺人罪について無罪判決を言い渡した。

■2審決定
検察官は控訴したが、2002年(平成14年)3月19日、
札幌高裁(門野博)は控訴棄却を決定した。

検察が上告を断念したため、無罪が確定。


■国家賠償請求
刑事裁判で無罪が確定したことから、
2002年(平成14年)5月2日、工藤は刑事補償1160万円を請求し、
2002年(平成14年)11月18日、札幌地裁はこれを認めた。