1987年12月9日水曜日

対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件

12.9警告射撃事件


自衛隊戦闘機が初めて警告射撃を実施した領空侵犯事件


■1回目
1987年(昭和62年)12月9日午前11時ころ、
ベトナムからソ連に向かっていた偵察機4機が
日本の防空識別圏を越えたため、
那覇基地所属の戦闘機(F-4EJ)2機がスクランブル発進した。

自衛隊戦闘機が警告の後、針路変更させようとするも、
1機は従わず沖縄本島上空に接近した。

沖縄県沖縄本島上空の領空に侵入し、
在日アメリカ軍嘉手納基地上空を通過。
同日午前11時24分、自衛隊戦闘機が警告発射を実施した。

■2回目
同日午前11時41分、鹿児島県沖永良部島徳之島付近上空に
ソ連機が再度侵入したため、警告射撃を実施した。


■各国の対応
日本政府は、外務省を通じてソ連政府に厳重抗議した。

ソ連政府は悪天候と計器の故障による事故であったと発表。
ソ連政府は、編隊機長を1級降格、
搭乗員2名を戦闘機搭乗停止処分とした。

当時、アメリカ軍は上空で戦闘機を待機させ、
事態を一部始終把握していた。



1987年3月15日日曜日

明かりをつけましょぼんぼりに〜♪

西安義行さん行方不明事件

1987年(昭和62年)3月15日
兵庫県市島町(現:丹波市)の自宅から、
高校時代の友人(石川靖さん)と京都府舞鶴にドライブに出かけ、「海を見て食事をして帰り、西安さんは、綾部駅近くで『列車で帰る』といって降車」した。

1時間後、西安さんは、「無事着いたか?」と春日町(現:丹波市)の友人(石川さん)宅に電話。
その後の消息が不明。

失踪当時42歳

失踪後、不審な電話や訪問があった。

1、男性の声で「僕、学校の横」という不審電話。
  1987年5月、母の久子さん(68)が電話を取ると、小さな声で「僕、学校の横」と聞こえた。
  震える声の主は息子と思えた。「義行やろ」。声をかけると、電話は切れた。

2、女児の声で「明かりをつけましょ ぼんぼりに〜」という不審電話。
  1993年3月ごろ、女児がたどたどしく「歌うから聞いて」と告げた。
  「明かりをつけましょ ぼんぼりに…」
  ふと思いつき久子さんは問うた。「あんた、義行の子か?」
  返事はなかった

3、地下足袋を履いた2人組の訪問。
  1998年、地下足袋を履いた2人組が近所の区長宅を訪問し、
  「西安義行の両親の家はどこか」と尋ねる。
  二人は「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗った。

4、20年後の不審電話
  2007年11月、女の子が「圭子さんはおられますか」と電話してきた。
  留守を告げると、電話は切れた。