1989年3月7日火曜日

20秒間に行方不明(徳島県男児行方不明事件)


■行方不明者
松岡伸矢 当時4歳


徳島県美馬郡貞光町に所在の親戚の家に来ていた松岡家。
父親・正伸さんが朝の散歩から戻り,
抱いていた下の子を台所にいた母親に預け,
再び玄関に戻ってみると伸矢くんは忽然と消えていた。

その間,わずか20秒である。


www.youtube.com/watch?v=bnWtA7jTnLY

1989年2月28日火曜日

福島女性教員住宅便槽内怪死事件

福島女性教員宅便槽内怪死事件


1989年(平成元年)2月28日の18時ごろ、
福島県田村郡都路村(現田村市)内の小学校に勤める女性教員(23歳)が発見。

住まいとしている小学校に隣接した教員住宅に帰宅し、
トイレに入って何気なく中を覗くと靴のようなものが見えた。
(靴のうち1足が頭部付近にあった。もう一足は自宅付近の土手で発見された)
驚いて外の汲み取り口へまわると蓋が開いていて、中を覗くと人間の足が見える。
すぐに教頭先生ほか同僚の教員を呼び、同僚の先生が警察へ通報した。
駐在所から警察官が駆け付け、続いて村の消防団員と三春署員が到着した。
署員らは便槽から中の人物を引っ張りだそうとするが狭くて出すことができず、
周りを重機で掘り起こし、便槽を壊してどうにか出すことができた。
(便槽は後にSさんの父親が復元して保存している)
便槽の中の人物はすでに死亡していた。
遺体は真冬というのに上半身裸で、
着ていた上着を胸に抱えて膝を折り、
顔をやや左に傾けた形で固まっていた。



死因は「凍え兼胸部循環障害」で、狭い場所で圧迫され凍死。

体にはヒジ、ヒザにすり傷がある程度で目立った外傷も無かった。
争った形跡も無い。
死後硬直の状況から26日頃に死亡したものとされた。
■遺体の身元
遺体の身元は、現場から車で10分ほどの村内に住むSさん(26歳)。
警察はSさんがのぞき目的で便槽内に侵入し、
狭さで出れなくなって凍死したものと判断した。


■不審点
便槽は内径36センチメートルでU字に屈折しており、
自力で侵入するにはかなり狭い。





1989年2月23日木曜日

モールス信号の電話

日高光男さん失踪事件

1989年(平成1年)2月23日、
鹿児島県鹿児島郡十島村諏訪瀬島周辺海域において、
漁船(大昭丸)にひとりで乗船し、海上で操業中に失踪。

失踪当時30歳。

■特定失踪者に登録


失踪当時は、ひとりで元浦港南西漁場において操業。
午後2時ころ、他の漁船に目撃されたのちの消息が不明。

日没後も帰港しないため、諏訪瀬島の漁船、
海上保安庁巡視船、航空機による海上捜索を実施。

翌24日、諏訪瀬島切石港沖合で無人のまま漂流している大昭丸を発見。
すでに燃料切れであったが、トローリングの糸が垂れた状態であった。

行方不明となった1、2年後、
毎晩24時〜25時に無言電話があり、1か月ほど続いた。
電話の内容は、無言であったが、
モールス信号のような音が聞こえたという。